管理職ユニオン解決例

Case 1 「解雇撤回で職場へ復帰」

私は、1996年9月1日に関連会社への出向が終了し本社(食品会社)へ戻ってきました。

ところが会社側は、「会社を退職して関連会社へ就職してくれないか」と突然言ってきました。

会社の業績もあまり良い状況ではなかったので、リストラではないかと思いましたが、 私一人がどうして犠牲にならなければならないのかと断ると、会社は「それでは退職してもらう」 と強引に言ってきました。

一時は退職を考えましたが、丁度その頃「管理職ユニオン」が札幌に設立され、 同ユニオン書記長のことが新聞に掲載されていました。

私は、この組合が私のために設立された気持ちになり、 早速書記長にアポを取り、相談をしました。書記長には話を理解していただき、断固拒否すべきだとの結論になり、早速会社へ話をしましたが会社側は応じられないとの事。

その後、「委員長、書記長、私」と「会社と弁護士」 との団体交渉を行うことになりました。

そして、団交の場で委員長、書記長のすばらしい助言で社長も納得し、会社へ同じ地位で復帰する確約をしてもらいました。

その後、会社では通常の業務を行い、社長からは経営の状況についての相談もされるようになるなど、以前より良い状態になり、定年退職まで無事に勤務することが出来ました。

本当に管理職ユニオンのおかげで今日があり、幸せな生活を送っております。 これからも私のような人のためにも、より一層の管理職ユニオンの発展と繁栄を心より祈念致しております。 本当にありがとうございました。

 

Case 2 「退職強要を跳ね返し和解へ」

私は、270床のⅠ病院の臨床検査室に勤務していました。

Ⅰ病院は建物が老朽化しており、 新病院の建築の構想がありました。緊急入院の患者様の検査結果を1時間で揃える事を目標に 新検査室作りをしました。検査機器の更新、検査システムの構築、検査技師の採用等、 新病院の検査体制が出来上がりました。

しかし、新病院では外部検査センターが主導する形(ブランチ・ラボ)の話が業者と上層部の間で密約が出来ていたようで、病院の検査技師で行う体制を主張する私は反逆者とのレッテルを貼られ、嫌がらせが始まりました。

また、新人の女性検査技師も上層部の方に取り込まれ、孤独な闘いとなってしまいました。

数回、事務部長に呼ばれ「セクハラの疑いがある。退職した方がいい」と脅されましたが、もちろん身に覚えのないことなので無視し続けました。

次第に嫌がらせが強くなり、 北海道労働局に相談に行き斡旋をお願いしましたが、満足のいく斡旋内容ではなかったので、 札幌管理職ユニオンに相談させていただきました。

弁護士さんも付いていただき闘いが始まりました。法廷闘争の直前で金銭和解となり、ほぼ私の主張は認められました。

私は、管理職ユニオンに入っていなかったら、完全に解雇されていたと思います。 本当に感謝しています。

この闘いを通じて感じた事は、どんな内容にせよ人との争いは、精神衛生上良くないと思います。 これらの経験を踏まえて、今後の人生は穏やかに生きようと心がけ毎日を過ごしています。

 

Case 3  「突然の異動降格、そして管理職ユニオンへ」

私は38年間、江別市にある知的障害児者の入所施設である社会福祉法人に勤め、 2003年からは施設長をしていましたが、2005年の5月末に突然地域支援の分野へ異動の内示を受けました。

「地域の仕事は、貴女しかできない」と能力を評価するかのように説得され、その際「新しい貴女のポストは、 6月1日の辞令交付までには、組織図に位置づけたものを作っておくから」と言われました。

その時、私が「降格と言うことですか?」と法人側に聞くと、「いや、降格ではない」と言われました。 

ところが6月1日、交付された辞令には「地域支援センター長を命ずる」とあり、さらに「課長相当職」と明記され、降格となっていました。

就業規則では施設長の定年は65歳ですが、 それ以外の職員は60歳ということになっています。私は2005年10月に60歳になりますので、 降格とともに定年が早まり、5ヶ月後には定年退職となってしまいます。

前例もなく予測もしていなかったことなので、身辺は急転換を迫られ大慌てでした。

内示のとき、 辞令の日までに作っておくと言われた組織図も一向に明らかにされる気配もありません。私の異動・降格は少なからず話題となりました。多くの人は同情的で職場に危機感を感じたようです。

でも中には、何か私に疑惑を抱く人もいることを知り、このままではどんな不名誉な汚名を着せられるかわからないと思いました。

そして38年間、私なりに一生懸命働いてきた最後がこのような結果であることを、とても残念に思いました。

私は、意を決して、まず弁護士のもとを訪れました。最初の弁護士さんと話すことで、私はとても励まされました。その後、他法人の施設長さんたちなどから多くの支援を得て、管理職ユニオンを紹介されました。

周囲の人々からの支援はとても大きな支えとなりました。私は自分に起きた問題から逃げずに、 きちんと向き合い、闘おうとすることで私の内に渦巻く納得のできないドロドロとした気持ちから、 やっと解放されていくのを感じました。

その後、団体交渉を経て円満解決しました。

 

Case 4 些細なミスを理由に「解雇」ユニオン加入へ

それは突然やってきた。

「リストラ」「解雇」という言葉とは無縁だと思っていた私は不平も言わず 、誠心誠意働いてきたつもりだったが、些細なミスを理由に「解雇」が突然私を襲った。

何が何だか分からないまま出社を拒否され、月末には「君のことを思って言うんだが、 自主的に会社を辞めないかい?」と猫なで声で言われ、拒否すると一転「解雇だ!」と声高になり、 「あることないこと」私の非を責めたて退職を強要された。

そうした理不尽な「解雇要求」 が受け入れられる訳もないが、おそらく私一人で闘っていたら、その場の雰囲気で「(理不尽な)解雇」 を受け入れてしまったかもしれない。

しかし、会社の不当な扱いが始まった際、「札幌管理職ユニオン」の存在を知り、すぐに相談。 色々対処法をお伺いしていたので、すぐさま反撃に転じた。

まずは「札幌管理職ユニオン」に加盟し、組合を通じ、「不当な扱いの撤回」と「団体交渉」の要求。会社側もこれには驚いたのか、翌月に入ると出社させざるを得なくなったが、最後には会社側(社長?) が業を煮やし、「諭旨解雇」を突きつけてきた。

即、組合の顧問弁護士にお願いして裁判(労働審判)へと突入。 

結果、私の思いが達せられる内容で和解が成立した。 今、この闘いを振り返ると、私一人ではここまでたどりつくことはできなかったろうとつくづく思う。

政府は「格差社会」を容認し、日々労働者の立場は弱くなる一方である。 しかし「組合」とか、「団結」という言葉が形骸化しつつある今だからこそ、 あらためて労働者が一つになる必要性があると実感している。

私にとっては、今回の「解雇」騒ぎがきっかけとなっているが、労働者一人ひとりにとって、 私に起きた出来事は「他人事」ではなく、ひょっとしたら「明日はわが身」であるかもしれない。 だからこそ「団結」する必要があるのだと思う。

最後に、私の闘いを支えてくれている組合の方々や顧問弁護士の先生にはもちろん、 会社と闘うことを告げたとき、私の思うままにさせてくれた妻と、「(会社と闘う私を)誇りに思う」 と妻に語り、陰ながらバックアップしてくれている息子に感謝の言葉を述べたい。 ありがとうございます。

 

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