医師から、「過労死」という言葉が出るまでに健康を損なった私が「会社の安全配慮義務違反であるか否か、不当・非情・過酷な状況を強いられた経験を無駄にしたくない」
そう思って、悩み、迷い、挑んできた裁判がやっと終結しました。
求人票、労働契約書と異なるずさんな労働環境
私は、求人票や労働契約書に掲げる就業時間が、実態と異なる事実を伏せられた会社に入社しました。
その会社は、始業時の1時間前に全員参加の朝礼が行われ、早朝出勤が暗に求められていました。
労働時間の管理は出勤簿で行われていました。しかし、出勤簿には出勤時刻欄はあっても、退勤時刻の欄はありません。
残業は、1日4時間、1カ月30時間以内に収めて記入するよう指示され、当初より不信感を抱いておりました。
その後、前任者が1年間に3、4人辞めている事実を知った時に退職を申し出ましたが、慰留されました。
そして、私に引き継ぎする人が常駐していない状況や年度末決算、新事業の開始、新システムの導入等色々なことが重なり、残業が続きました。
加えて、少々体調が悪くても代わりに業務を行ってもらえる人員はいませんでした。
体力の限界。更に理不尽なパワハラ
深夜残業が1カ月以上続いた頃、10日間の自宅療養が必要と記載された診断書を会社に提出しましたが、3日後にやっともらった休みは、4日間でした。
そのため、体調が悪化し2カ月後に入院を余儀なくされたのですが、そのような状況でも、上司に「業務の引継ぎに来て欲しい」と言われました。
私は、医師と充分に話し合い、直ぐ復職できるよう退院しましたが、会社は復職を先延ばしし、更に、正社員の経理事務職から、パートの工場作業職への配置転換を命じました。
後日、他の支店へ異動することになったので、正社員のままでしたが、望んでいた元の職場・職種に戻ることはかないませんでした。
長時間労働と診断書を無視して、必要な休養を与えられなかったことが健康を損なった理由であったことから、労災申請しようとしましたが「休んで人に迷惑をかけておきながら、労災とは何事か!!」と怒鳴られ、私は在職中の申請は断念しました。
更なる長時間労働…退職…そして、裁判へ
転勤した営業所でも、早い時刻から全員参加の朝礼が行われました。私の業務は営業職が配達に持って出掛ける伝票作成で、本来の始業時刻は8時50分です。
ところが、前日の夜から明け方に留守番電話やファックスで注文が多く入るため、毎朝7時過ぎに出社せざるを得ませんでした。その上、昼休みにも時間を惜しんで働きました。
私は、勤務時間・休日・勤務地など長く働ける環境を求め、時間をかけて就職活動をして、この会社に希望を持って入社しました。
しかし、残業の多さや会社の非情な対応等に加え、転勤で今までよりも早く出勤せざるを得なくなったことから、転勤の半年後に止むなく退職しました。
私は、それまでを振り返り、会社のために費やした精一杯の努力や時間が評価されず、会社の間違った対応で健康を害し、更に「私の能力が低い為、長時間残業で病気になった」ようなレッテルを張られたことについて、到底納得出来ませんでした。
そうして、私は第三者の公平な判断を仰ぎたいと思い、提訴したのです。
司法の場でも極めて不誠実な対応を繰り返す会社…!
司法の場で会社は、事実に基づいた誠実な対応をしてくれるだろうと思っておりましたが、実際は全く違いました。
「経理は、朝礼に参加する必要がなく、勝手に参加していた」
「休みを与えたのに、大丈夫だと言って休まなかった」
会社の発言は、全く事実とかけ離れたものでした。
朝礼に参加する必要がないのなら、なぜそうと教えてくれなかったのでしょう。休養させて欲しいと診断書を提出しているのに、休みを与えられて休まない人など何処にいるでしょうか。
その後も会社は、あらかじめ示された裁判所や我々の目安の半分にも満たない金額を提示する等、誠意が全く見られないため、和解を断念し判決を求めました。
判決では、全てにおいてと言って良いくらい、私の主張が認められました。
労災認定はされませんでしたが、体調不良と長時間労働の因果関係や、会社の安全配慮義務違反が認められ、未払いの時間外勤務手当や、休日勤務手当が存在することも認められました。
また、経理も朝礼に参加する必要があったこと、朝礼も労働時間に含まれること、任された業務は多種多様で、勤務中に業務外のことは行っていないこと等、細部にわたって明記されています。
これは、一緒に働いてきた前部署の元上司と元同僚のありのままの証言のおかげです。
しかし、会社は控訴しました。その後、高裁から再度和解を提案されました。判決による終結を望んでいた私は悩んだ末、一審で充分な判決を得たこと、会社の理不尽な対応を明らかに出来たこと、判決には更に時間を要すること等から、和解することにしました。
勝利的和解による裁判終結…しかし…
こうして、2年半に及んだ裁判が終結し、すがすがしい気持ちでいる反面、引き続き会社に勤めている従業員の方々のことが気がかりでなりません。
早く始業させたり残業手当に上限を設けたり、働く者が困っている不当なことを解決するには、労働組合で皆力を合わせて会社と闘うしかないことを私は学びました。
ちっぽけな私の「おかしい」という思いは、多くの方々に支えられて、大満足の一審判決と和解を勝ち取ることができました。
一人ひとりは微力でも、多くの従業員が声を上げ続ければ、会社は動かざるを得なくなりますので、「おかしい」と思ったことは必ず記録に残し、労働組合などへ相談することをお勧めします。
事実だけでなく、私の思いまでも汲み取っていただいた担当弁護士様、応援を賜りました札幌地域労組の皆様、不当な状況下で共に苦労した元同僚、会社側で唯一人事実を証言してくださった元上司、ご支援いただきました全ての皆様、この場をお借りいたしまして、心より厚くお礼申し上げます。